岩手生まれ。内務官僚、政治家。父は水沢
藩士。
須賀川医学校卒。
明治14年(1881)愛知県病院長兼愛知医学校長となる。
16年(1883)
内務省衛生局に入る。ドイツ留学をへて25年(1892)衛生局長に昇進。
31年(1898)
児玉源太郎台湾総督により民政局長に抜擢、
のち民政長官。36年(1903)
貴族院議員に勅選。
第2次、第3次桂内閣で逓相、鉄道院総裁、寺内内閣では内相、外相等を歴任し、
シベリア出兵を推進。
大正9年(1920)
東京市長となる。第2次山本内閣内相兼帝都復興院総裁として、
大震災後の東京復興計画を立案。
ソ連との国交樹立にも関与した。
フリマから買いました。落款がないが真筆間違いと・・・?
安かったし前から欲しかったので
まぁ・・・いいかぁ・・・